こんにちは。自称Smol Feminist (小さなフェミニスト)のHonokaです。私は現在大学4年生を数日前に卒業し、インスタグラム(@sneakysmol)やSHeStandsを通して日本でフェミニストとして活動させて頂いています。今回は生まれも育ちも神奈川県の22歳がどのようにしてフェミニストになり、学生として活動しているのかを少しお話させて頂きたいと思います。

正直に言うと「これ!」と言うような経験を経てフェミニストになったというのはなくて、どちらかと言えば小さなことの積み重ねが今に繋がっていると思っています。しかし、私の記憶の中で最初に「なぜ?」とジェンダーや平等に関して疑問を持ったのは幼稚園の年長さんの時でした。

当時まだ6歳で後数ヶ月で小学生になる私は祖父母と母と一緒にランドセルを買いに横浜駅の高島屋に行きました。6歳なんて単純で好きな色があれば何でも好きな色の物がほしいし、好きな色を身につけたいものです。当時の私の一番好きな色は「水色」でした。そこで、高島屋でどのランドセルが良いかお店を笑顔で見ているとかわいい水色のランドセルがありました。私はそれに一目惚れし、母に「これがいい!」と言ったのですが、母の表情は微妙なものでした。そのランドセルは私がよく着ていた女の子向けのブランドの商品で水色だし私にはぴったりのように思えたのに6歳の私にはなぜ母が笑顔じゃないのかが理解出来ませんでした。しかし、6歳のおねだりに反対するのも難しいことなので母は水色のランドセルを買ってくれました。ルンルンな気分で家に帰り、背負ってみようと箱から出すとそこには大好きな水色のランドセル。気分は小学生だし、早くランドセルを背負って小学校に行きたい気持ちが増しました。ランドセルを持ち上げると中に何かが入っている感じがしたので開けてみると中には高島屋がくれた入学祝いが入っていました。幼稚園生にはプレゼントはとても嬉しいものなので開けてみるとそこには「男の子用」の電車が描かれた青い時計が入っていました。高島屋では男の子は電車の描いた時計、女の子はキティーちゃんのピンクの時計がプレゼントされると聞いたのですが、なぜか私のランドセルには「男の子用」の時計が入っていたのです。その時私は6歳ながら「女の子は青はだめなのか?」と疑問に思ったことを16年後の今でも覚えています。

当時は2005年、まだ女の子のランドセルは「赤」、男の子は「黒」が主流の時代でそれ以外の色のランドセル、ましてや青系のランドセルを女の子が背負うなんて非常に珍しいことでした。そんな現実を知らない6歳は水色のランドセルを背負って小学生になることを心待ちにしていました。しかし、母は高島屋でランドセルを選んでいたときから私の心配をしていたみたいです。それは、母は現実を知っていて私が皆とは違うランドセルを背負っていたらいじめられてしまうと思っていたからでした。確かに、日本は “inclusivity” (包括性。多様性を尊重し受け入れる姿勢。)よりも “assimilation” (同化)を好む傾向があり、「普通」とは違うものを受け入れないことの方が多いこともあります。今はグローバル社会でもっと多くの方や企業などが「ダイバーシティ」を提唱することも増えてきたのですが、16年前はまだまだそのようなことはなかったので「普通」から外れて目立ってしまい、いじめられるのではないかと母は心配していたようです。

実際に小学校に入学すると学校全体で水色のランドセルは一人だけで学年でも赤か黒のランドセルではなかった人は私を含めて4人でした。幸いにもランドセルの色でいじめられることはなかったのですが、当時の現状の中で母が心配をして高島屋で微妙な顔をしていた理由もわかるし、子どもの個性の表現と子と他の生徒間での関係の心配で悩んだ母の気持ちも22歳になった今ではわかります。ランドセルの色なんて自由で良いし6歳に社会的に色には性別が与えられているなんていうことはわかりません。なぜ、色に社会的構成物である「ジェンダー」を与えて子どもの個性の可能性を狭める必要があったのでしょうか。

今では登下校している小学生の集団を見かけると赤や黒のランドセルは逆に珍しくなり個性豊かなランドセルが多くなってきたようです。以前に黒にピンクの刺繍が施されたランドセルを背負って登校している女の子を見たときに時代の流れや少しでも日本社会がダイバーシティに近づいているということを実感しました。ダイバーシティやジェンダー平等においては小さな出来事かもしれませんが、16年前の私の母のようにランドセルの色で心配をしなくて良い方が増えたことだけでも一歩前進なのではないでしょうか。

それからというもの、このような小さな出来事の積み重ねや中高での模擬国連活動、Super Global Highschool (SGH)活動を通して世界でのジェンダーや平和についてもう少し深く考える機会を与えられたので大学でもそれを勉強しようと大学4年間、平和学や国際関係論、ジェンダー論やフェミニズムを勉強しました。さらには、留学をする機会もあり留学先のカナダでは国内で一番古いWomen’s Studies (女性学)のプログラムに入ることできて西洋でのフェミニズムを学び、アジアのジェンダーとの比較をすることもできました。

私は恵まれた環境で育ち、ジェンダーの不平等についてもクリティカルに考えられるチャンスを幾度とも与えられてきました。それには感謝の気持ちでいっぱいなのですが、一方で日本社会や世界全体での不平等を考えられるクリティカルなマインドで日々生きていくと様々な日常の出来事に非常に残念な気持ちにもなってしまいます。まだ日本社会の大多数は平等やダイバーシティにそれほど興味はなく、メディアや政治でもそれを痛いほどわからせてきます。毎日それを目の当たりにすると誰かが何かをしなければ何も変わらないという気持ちがどんどん高まります。しかし、私はまだ大学生で出来ることが限られているのが現実です。だけど、それを理由に何もアクションを起こさなければ目の前の問題を無視し続けることになり、結果的には自分も社会問題に貢献してしまっているということに気づいたとき私は少しでも良いから何かをしようと決めました。そこで始めたのが自分をフェミニストと呼び、啓蒙活動を通して一人でも多くの方に社会で「普通」となってしまっている不平等に疑問を持ってもらうことです。日本社会ではフェミニストは「口うるさいモテない女」とミソジニー(「女嫌い。」上野千鶴子教授訳。)が含まれた意味になってしまっていて勘違いしている人が多くいます。しかし、フェミニストの本来の意味はジェンダーであっても人種であっても平等な社会を実現したい人です。だからこそ、日本における「フェミニスト」という言葉の勘違いを解き、もっと多くの方に賛同して頂きたいと思い、チャンスがあれば自分はフェミニストであると伝えています。

私は言葉にはすごく力があると信じているのでネガティブなイメージがついた言葉を本来の意味で使って行くことで言葉を取り戻し、さらにパワフルなものに出来ると思っています。確かに、今の日本社会では「フェミ」は「うざい。」、「なんでも問題だと思っている。」などネガティブなことをSNSなどでも言われることが多く、「フェミニスト」とフルで言うのも嫌なのか「フェミ」と訳されてしまうことが多いです。しかし、私は「フェミ」ではなくフェミニストであり自分は「うざい」のではなく、日本が好きで発展してほしいからこそ「きちんと問題視できる」人だと考えています。

逆に言えば、なぜみなさんがフェミニストではないのかが理解できない時があります。人間一人一人が自分であることを認められ、誰もが不自由なく平等に暮らせる世界を皆望んでいなのでしょうか?それを少しでも目指し、日々考えて生きている人は立派なフェミニストです。「特に啓蒙活動などしていない。」と反論されることもあるのですが、フェミニストは啓蒙活動を行うからなれる特別なものではなく、日々社会の問題を少しでも考え、不平等に疑問を持ち、変化が訪れてほしいと思うだけで十分なのです。だからこそ、もし普段から日本社会に疑問を持っていたり、このように変化したら社会はもっと豊かになるとアイデアがあったら私と同じようにフェミニストであることを認めて言葉を取り戻しましょう。

フェミニストは何か大きなきっかけがなくても誰にでもなれます。一人でも多くの方がフェミニストであると認めて声をあげ、日本社会をジェンダーや性的指向、年齢や障がいの有無、国籍や宗教、人種やエスニシティ、経済や社会的地位関係なく誰もが暮らしやすい世の中になるようにしてほしいです。今日から自分をフェミニストと呼んでみませんか?

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