こんにちは。株式会社SHeStands の佐藤 圭子です。

今日は、会社立ち上げに至った背景について綴ります。

私は幼少期、アメリカ西海岸で自由奔放に育ちました。

そのせいか、幼い頃からおちゃらけて人を喜ばせ、元気にすることが大好きだったようです。私はいつも人に囲まれ、笑っていたように思います。

学生時代は人に感動や元気を与える仕事に憧れました。成人になると、女性の自信のきっかけとなる活動に心を動かされるようになり、そういった軸で職業選びをしてきました。またキャリア思考でしたので、自身の成長と発展も大きな指針の一つでした。自身の存在意義を会社の評価という枠で考えていたため、コーポレートラダー(昇進への道)を登り詰めることも大事な要素と捉えていました。

自分に厳しい性格な為、努力と気合いで目標地点に到達できる。到達できていない自分がいたら頑張りが足りないだけ。ストイックな思考で、自身にも甘えを許さずムチを打ち続け働いてきました。努力して社会に認められ、自分の存在意義を確認しようと必死でした。そして当時はそんな現状満足しない厳しい自分が嫌いではありませんでした。

そんな思考や生き様が一気に打ち砕かれたのは「出産」をして母親になってからです。

社会や自分自身が求める「母」という役割の重みを味わい、「育児」と「仕事」の両立に抱えるものが多すぎて苦しみました。

仕事を選択すると育児を放棄するような罪悪感に苛まれ、

自分を制して計画的に進めることが、一切通用しなくなったのです。

コントロールしようとすればするほど首を絞めることになっていったのです。努力と気合いなどの次元でないこと、物理的に一人の頑張りでは不可能なことを知りました。

大きな壁に打ち当たり、

どこに向かっているか。

私のアイデンティティーとは何か。

と、アイデンティティークライシスに陥りました。

母親になってしまうと、子供や家族のために一生人生を捧げ、私という個のアイデンティティーはなくなってしまうのか。と深く悩み落ち込みました。

仕事は当然ですが24時間フルコミットできず、仕事も育児も全力で頑張っても全て中途半端な気分。それでも休む間なく常にがむしゃらにフル稼働。

自分の心の声すら聞く暇なく駆け抜け続け、私はソールレス状態で毎日もがいていました。

そんな時、他国の働く女性たちに目を向けるきっかけがあり、外から日本の女性が置かれている環境を改めて知ることとなり、それが私を救ってくれたのです。景色に色が少しづつ蘇り始めました。

日本は先進国なのに、男女格差を国別ランキングを示す「グローバル・ジェンダーギャップランキング」ではなぜここまで低いのか?

(*当時2018年 110位/149カ国 *2019年 121位/153カ国 Global Gender Gap Report

「なんだ、私がダメなわけではなかったのか。日本は女性がこんなに生きにくい環境なのか。

当たり前としていたこの環境は、実は当たり前でなく、相当遅れている。

私が生きにくいと苦しむのも当然。

ということは、同じ思いをしている人は沢山いる。世界から取り残されていくこの日本の環境を、他の女性の為にも良くしていきたい。」

そんな思いと共に、徐々に私のパッションとエネルギーが湧き上がり始めました。

このタイミングで、NYCにある低所得の女性たちの再就職を支援するN P O法人(Dress For Success)の存在を知り、そこの理念や活動に強烈に惹かれました。ワクワクと共に「私の心がまだ死んでいなくてよかった」と思ったことを覚えています。

闇の中でようやく見えた小さな光の筋。

私もこの活動に何か貢献したい。その一心で、その半年後ノーアポでNYCに向かっていました。このNYCでの恵まれた出会いや経験はドラマのような奇跡や不思議体験が多く、何かに導かれているとしか思えませんでした。

私はブルックリンブリッジに、本格的に日本のジェンダーギャップを解消するためにWomen Empowermentの活動をすることを誓い帰国していました。

将来的に立ち上げるNPO法人を通じて「社会貢献」をサステイナブルに機能させる為、まずは株式会社SHeStandsを立ち上げたのですが、

人のご縁にも恵まれ、たくさんの学びやがあり、気付いたらここにいたという状況です。

ここにくるまで、本当に多くの方々のサポートがありました。

人生のご縁やタイミングは全て必然でミラクルです。そして感謝の気持ちで今この場に立っています。

With love,

佐藤 圭子